Friday, January 25, 2008

For Example vol.5


トリシャ・ブラウン Trisha Brown
《Line Up》1976の冒頭パート
および
《Structured Pieces Ⅱ》1974と
《Structured Pieces Ⅲ》1975の1パート

[実験の目的]
「支える/支えられる」関係の相互規定。身体と物体とが媒介し合うこと。

[実験の仮説]
たとえば、なぜわれわれは、自分自身をくすぐることができないのか?(自分で自分に痛みを与えることはできるにもかかわらず。)私の手を私自身に、他人をくすぐるように(または他人が私をくすぐるように)接触させても、私をくすぐることはできない。
この非対称性は、何らかの事物・道具(たとえば猫じゃらし)の介入がなければ、つまり直接ではなく迂回を経なければ、解消しない。メディウム(媒介)としての事物の意義は、この使用法にこそ関わっている。メディア(媒体)とは単なる身体の拡張、感覚器官の延長ではない。

[実験の方法]
パフォーマーは3〜5人。2m以上の長い棒を人数分用意する。全員1列で床に仰向けになり、各人棒を縦に持ち身体の中央にそえる。
 1. パフォーマーは各々、自分の持つ棒の両端を他のパフォーマーの棒の端につけ、つねに離さないようにする。
 2. 棒を地面に接触させることなく支え続ける。
 3. 自分の支えているその棒を支軸(基点)にして、身体を動かす。パフォーマー間で互いの状態を確認しつつ、横臥の体勢から棒をくぐり抜ける、上体を起こして片足ずつ跨ぐなどの動作を行なう。

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Sunday, January 20, 2008

For Example vol.4


トニー・クラッグ Tony Cragg
《無題/Untitled》
1972
椅子、木片

[実験の目的]
「分節(アーティキュレーション articulation)」とは何か? たとえば、原子や分子などミクロな単位の物質の構造と、事物のレベルにおける、機能を構成する分節(たとえば椅子の脚-座面-背もたれ)といった、異なる種類のアーティキュレーションを関係づけることはできないか。

[実験の仮説]
錯覚は感覚(知覚)の誤作動や例外、付随現象などではなく、その主要な目的であり、分節を再編する契機となる。

[実験の方法]
木製の椅子と、複数個のキューブ状の木片を材料とする。キューブを積み重ね、正面から見て椅子を囲むような(側面から見ると真ん中で分断するように)矩形の枠を作る。その際、観る側に対する、以下のエフェクトを念頭に組み立てること。
 1. 一見、矩形の枠のゲシュタルトが、椅子とは独立して、はっきりと単一のものとして見えること。つまり、椅子と木枠は別々の分節を持つように見せる。
 2. 木枠を組み立てる場合、四辺のコーナーが縦/横のどちらに属するのかが重要になる。ボードゲームの「オセロ」においてもコーナーが勝敗を分つが、建築用語では部材同士の接合部の位置関係を、まさしく〈勝ち・負け〉と呼ぶ。通常上方の部材の接合部は、重力を考慮して横勝ちで組まれる(ちなみにドナルド・ジャッド Donald Juddの箱も、耐久性と安定性を兼ね備えた、上方が横勝ち、下方が縦勝ちという方式で組まれている)。おそらくわれわれは、こうした用語を知らなくとも、矩形の木枠が自立しているのを見ただけで、それは横勝ちに組まれている(分節されている)ことを察知してしまっている。
 3. しかしこの木枠は、同サイズのキューブを複数並べ積み重ねるという操作だけでできている。これらのキューブは一切接着されていない。椅子と木枠との構成に見えたこの物体は、構造的には、椅子の座面に載った八つのキューブと、U字状に並べられた44個のキューブ(縦に18個積み上げ×2、横に8個並列)という、別の2種類の分節からなっていた。
*注意事項
 A. 縦に積み上げた18個のキューブ2列のうち、一方を腰掛けの側面部分にぴったりとつけて垂直にし、他方には少しの隙間を作って斜めに曲がるようにする。
 B. また、下方部の地面に近い箇所では、椅子の脚にキューブがすっぽり収まって見えるよう、両者の向きを平行に保つこと。

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Wednesday, January 16, 2008

For Example vol.3


ロバート・マンゴールド Robert Mangold
《Distorted Circle within a Polygon(Yellow-Ochre)》
1972
キャンバスにアクリル、鉛筆
203×226cm

[実験の目的]
アリストテレスは、物質と空間とは一対の不可分なもので、同一現象の表裏であると捉えていた。空間は、物体の占めている体積(そしてその配置)によってのみ定義可能であり、物質とは別にそれ自体として独立した空間、広がりは存在しない。彼は空っぽで何もない空間という「真空」の観念を退け、宇宙は「充満(プリナム)」していると考えた(また運動がなければ、われわれは空間について問うことはできないとも述べている)。
ここでの空間とは、喩えるなら「容器と中身」の関係の「容器」にあたる、物質が存在するための、基底としての空間ではない。このように空間が存在しないと考えることには、どんな意義があるのか? 

[実験の仮説]
あらかじめある、容器としての空間を否定することは、絵画においては、キャンバス内部に描かれた形態とそれを規定する外枠(フレーム)という、構造的なヒエラルキー(階層)を疑うことに等しい。内形と外形との関係は、恣意的かつ因習(制度)的である(遠近や余白も当然フレーミングを前提としている)。
描かれた何らかの対象がいきいきして(まるで動きそうに)見えるというイリュージョンや、奥行きのイリュージョンではなく、内形と外形を不可分なものとして関係づけることで、フレームないし境界それ自体が変化するようなイリュージョンを組織することが可能なのではないか。

[実験の方法]
キャンバスの四角形の枠に一辺を加えた五角形の色面と、その内側に線描された楕円の形態のみを構成要素とする。画面から外に向かって膨張するかのような楕円の内形と、それを押さえつける外形が拮抗し、どちらの形態が先行してできたのかがわからないような相互関係を生じさせる。
1、塗りムラなどの効果を一切使わずにモノクロームな色面を作り、それを五角形にカットする。また内形の楕円も、同様の均質な線によって描く。こうした制限に対し、色は内的な圧力を強調するものを選択する(ただし塗りそのものは平坦に仕上げること)。
2、五角形の各辺の中心をいずれも楕円の線に内接させ、内形と外形の調和的な均衡状態を作る。逆に、楕円自体の膨張は、画面の中心から外れて起こるようにする。また、五角形の内角の一つを直角の近似値にし、それぞれの角度と辺の長さも不均等にする。このずれから、内側に描かれた楕円によって、外形の五角形が圧迫されて歪んでいるように見せる。

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