Saturday, November 04, 2006

身と蓋

「物理的である」とはいかなることか。空間が自明なものではないのと同様、物理的存在であるということも認識の産物である。たとえば、われわれがインプットとアウトプットを同時に行なうことはしばしば困難である。まったく卑近な例ではあるが、われわれが徹底した合理主義者として振る舞い、時間短縮のために、食物を摂取しつつ排便を行うと想定してみよう。するとどうだろう、そのとき、まるで自らが一本の管であると感じると同時に、ある種の強烈な異和を意識せざるをえないはずだ。もしも「還元」という手続きに何がしかの意義があるとすれば、それは純粋化という空疎なお題目によるのではなく、この異和、ある作用に対する反作用がもたらす抵抗の感触にこそある。
《Self-Portrait as a Fountain》(1966)などのブルース・ナウマン(Bruce Nauman)の初期作品を挙げるまでもなく、芸術家の基礎課題とは、自らをオブジェクトとして捉えるのみならず、レディメイドとして、すなわち既に作られたものとして捉え直すことにあるだろう。
そうした試みは多かれ少なかれ、社会心理学者スタンリー・ミルグラム (Stanley Milgram)の行なった通称「アイヒマン実験」(1961)と呼ばれる実験と似通ったプログラムを持つ。この実験は、人間はどこまで権威の命令に服従するのかという問題に対して、統計的に調査するため精緻に構成されており、もともとは、アイヒマンなどのナチスの士官たちが、なぜ上官の命令とはいえあれだけのユダヤ人を虐殺することができたのかという問いを説明するために考案されたものである。
まず「罰が学習に与える影響を調べる」と称してボランティアを募集する。密室に試験官と被験者、そしてもうひとりの人物計三人がいる(被験者はそのもうひとりの人物を自分と同じボランティアだと思い込む)。籤引きで他のひとりは生徒役、被験者は教師役と振り分けられた後、一方は電気椅子に固定させられて出題された質問に答え、他方は一方が答えを間違えると電気ショックを与えるという設定であることを試験官から知らされる(間違えが加算されていくたび、電気ショックのレベルは徐々に強くなる)。生徒役の人物は痛みを感じているように振る舞い、ときには死んだふりさえするが、実はその電気椅子は偽物で、その人物も試験官も別に雇われた役者である。さてそれを知らない被験者は、どのくらい命令に従い、いつ電気ショックを与えることに抵抗を示すのか。これを社会的条件の異なる様々な人々数百名に試す。書籍やウェブなど多所で概説されているので結果やその詳細は省くが、それでは、徹底して残酷なドッキリカメラともいえるこの実験が、なぜ芸術家の基礎課題と共通点を持つのか。
芸術を含めたあらゆる技術は、あるモデルとして与えられ、それを反復することで習得される。いわばその権威に盲目的・受動的に従い、意識を介さずとも自動的に再生できるようにならなければ、それは技術ではない。この訓練のプロセス自体は不可避的である。そして芸術家はこの技術が内面化され「自然で自明なもの」となった後に、改めてそれが作為の産物であることを検証するという二重の手続きを取る。そうしなければ、技術の体系性とその限界の双方を捉えることはできず、しかもこうした客体化のプログラムを経て自らが機械であることが感知されてはじめて、能動的な意志の有無と、それをピン留めするところの主体が問われることになる。
「アイヒマン実験」は実験後、それが演技、嘘であったということが被験者に知らされる。しかし、最後まで命令に従った多くの者は、当然ながら呵責の感情に苛まれる。なぜ言われるがまま、言われた通りにしたのか。「もうやめなければ」という声にならない言葉が頭のなかで生じつつ、それに反して、操られたロボットのようにスイッチを押し続ける自分の手。実際は誰も傷つけていないと言われようと、そこで「起こった」ことは虚構であるか否かを超えている。しかしそもそも芸術とは、「現実に対する虚構」というヒエラルキーが成り立たない局面においてこそ顕在化する何ものかである。そして、壁に落書きする子供は、何かを描いているのではなく、むしろそれを汚すために絵の具を擦りつけるとジョルジュ・バタイユがいったように、芸術とは対象を破壊し、表面を破損することを通じて自己を切断することである。ミルグラムの実験との相違点は、そうした装置を構成し効果を研究する者と被験者とが、同一人物であるということだ。


 Charles Ray《Plank PieceⅠ-Ⅱ》(1973)

 Dennis Oppenheim《Parallel Stress》(1970)

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